ふりかけことはじめ

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白ごはんはそのままでもおいしいですが、ふりかけをサラサラとごはんにかけると、魔法のように食欲をそそるから不思議です。

今では当たり前のように愛用されているふりかけは、いつ、どのようにして誕生したのでしょう。

ふりかけの生みの親は、実は薬剤師さんです。
時は大正初期、ところは九州・熊本。薬剤師の吉丸末吉氏は、カルシウム不足を補うために魚の骨を粉にして食べることを思いつきました。
小魚をまるごと乾燥させ粉末にするだけでなく、調味していりごま、けしの実、青のりなどを加えて魚臭さを抑えることで、ごはんにふりかければ魚が苦手な人でも魚だと気付かずにおいしく食べられるようにと考案した「御飯の友」という商品が、ふりかけの元祖といわれています。

容器は横から見ると実験用の三角フラスコに似た形で、底面が八角形の瓶が採用されましたが、これは湿気を防ぐために瓶口を細く、中身が多くはいるように底を広くという工夫があります。
「御飯の友」は若干の改良を経たものの、現在も熊本のメーカー・螢侫織个ら発売されています。

「御飯の友」の誕生から数年経った大正14年(1925)、福島市の食料品店の主であった甲斐清一郎氏が、いしもちという白身魚の身を乾燥させ粉砕して昆布の粉末と混合し、醤油ベースの調味料で煮込んで乾燥させたものに、のりやごまなどを加えたふりかけを発明しました。

大変美味だったので「是(これ)はうまい」と命名し販売を開始、すると好評を博します。
甲斐氏はこれを持って東京へ進出し、本格的にふりかけ事業に乗り出すことに。
これが後にヒット商品「のりたま」を世に出す丸美屋の起源です。
当時、「是はうまい」は三越デパートで販売され、かなりの高級品でした。今や庶民の味方のふりかけですが、当時は白米を食べられる階級、つまり都市部の一部の階級の食べ物だったのです。

その後、さらに静岡や広島など各地でふりかけが誕生し、市場も広くなっていきます。
この時期のふりかけは、魚粉などにのりやごまやしそなどを混ぜたもので、メーカーも30〜40社と広がりをみせます。

ふりかけが全国に普及したきっかけの一つに、軍隊との関係があります。
昭和3年(1928)の奉天事件を契機に大陸へ多くの軍隊が動員されるようになりましたが、その兵士たちへの慰問袋のほとんどにふりかけが入れられました。
兵士たちは戦地でふりかけになじみ、帰還後、出身地に戻りその味を伝えていきます。
ちなみに今も自衛隊でふりかけが支給されていますが、これは現在発売されている「御飯の友」と同じものだそうです。

世界に目を向けてみると、ふりかけは同じごはん食文化圏の韓国や中国ではマイナーな存在ですが、不思議とタイでは人気があります。
フレーバーも豚肉、川エビ、トムヤムクンなど、地域性が出ています。

ごはんがなければ、おそらくふりかけは誕生しなかったでしょう。
また日本では、ごはんの調理に塩や香辛料などを使わず、水だけで炊いたシンプルな「白ごはん」を大切にするがゆえに、味をトッピングするふりかけが定着したのかもしれません。

奇しくもふりかけが誕生した時代に、カレーライス、親子丼、カツ丼など、今ではおなじみのごはんメニューも誕生しています。

近代は、ごはんにとっても、新しい時代のはじまりだったようです。


参考文献
熊谷真菜+日本ふりかけ懇話会『ふりかけ−日本の食と思想』学陽書房


2010.10.08 Friday 食と文化 00:00 comments(0)

和菓子とお米

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四季折々の風情を食生活の中で楽しむ。

日本人は昔からそんな素敵なセンスを持ち合わせてきましたが、そのエッセンスが凝縮されたものに和菓子があります。

和菓子の材料にはさまざまな粉がありますが、お米を使用した粉も多彩で、頻繁に使われています。主なものを挙げてみると…

新粉・上新粉・上用粉:うるち米の粉。新粉より上新粉が、上新粉より上用粉がきめが細かい
餅粉:もち米の粉
道明寺粉:もち米を蒸して乾燥させたものを粗挽きにして大きさをそろえたもの。細かく引き割って煎ると新引粉、そのより目の細かいものを上南粉という
寒梅粉:もちをせんべい状に白焼きし粉にしたもの
白玉粉:もち米を何度も水さらしし、脱水、裁断乾燥させたもの
氷もち:もち米を水挽きしてできた米汁を煮て、枠に流し凍らせたものを乾燥させて砕いたもの
しとぎ:白米またはもち米を水に浸してやわらかくしたものをついて粉にしたもの


粉だけではなく、和菓子の材料として用いられるもちやあられもお米からできています。
水飴もかつてはもち米から作られるのが一般的でした。

尼崎の「琴城ヒノデ阿免本舗(ことじょうひのであめほんぽ)」では、今でももち米(三田産)だけを原料に水飴が作られています。

つまり、お米はいろいろと変身して、豊かな和菓子の世界の「立役者」となっているのです。

ところで、この時期の和菓子と言えばおはぎですが、ぼたもちとの違いは何でしょう?
「春のお彼岸は牡丹の花に言葉を寄せてぼたもち、秋のお彼岸が萩の花に見立てておはぎ」という説、「ぼたもちはもち米、おはぎはうるち米」という説などさまざまですが、実はもともと同じもののようです。

江戸時代に記された『本朝食鑑』という本に「母多餅一名萩の花」とあり、ぼたもちの別称の一つとして「萩の花」があったようです。
どうやらぼたもちには「顔が丸く大きい不器用な女性」という意味があり、宮中の女官が使う女房詞(にょうぼうことば)の「萩の花」が上品だったので、そこから萩の花〜おはぎとして定着したのでしょう。

昔はほかにもユニークな別称がありました。
お米をあまりつかず練りつぶすため、隣家ではいつついて作るかわからないことから「隣知らず」とよばれ、そこから転じた「夜船」(→着き知らず)や「北窓」(→月知らず)などは昔の人のウィットを感じます。

また、お米を半つきにするため「半殺し」という穏やかでない名称も。
宿の主人が夜に「半殺しにしよう」と言うのを聞いた旅人が勘違いして逃げ出した…という笑い話もあるとか。

いかにおはぎが庶民に親しまれていたかがわかります。


参考文献
中山圭子『事典 和菓子の世界』岩波書店
2010.10.06 Wednesday 食と文化 00:00 comments(0)

北大路魯山人のお茶漬け

食文化:北大路魯山人のお茶漬け
 

毎日毎日暑い日が続きますが、この時期に食べたくなるのがお茶漬け。
あっさりしていて、食欲のない時でもサラサラと流し込めるお茶漬けは、日本を 代表するごはんの食べ方のひとつとも言えます。

お茶漬けの種類は多種多彩で、全国にも郷土のお茶漬けがいっぱいあります。
お茶漬けの起源は平安時代、冷え たご飯にお湯をかけて食べる湯漬けにあるとも言われていますが、ごはんに具を乗せてお茶をかけて食べるというのはごく自然発生的におこなわれていたのでは ないのでしょうか。

そのお茶漬けを愛し、ひとつの「料理」として見ていたのは、芸術家にして美食家としても名高い北大路魯山人(1883〜1959)です。
魯山人は昭和7年と9年に、お茶漬けについて随想を書き記しています。

その中から3つほどご紹介します。

納豆の茶漬け
「納豆の茶漬けは奇想外に美味いものである。(中略)食通間といえども、これを知る人は少ない」と魯山人。
その作り方は…納豆を器に出して、何も加えず 箸で練ると糸が多くなるが、糸が増えてきてかたく練りにくくなるまで練る。
それに醤油を数滴落として再び練る。糸がなくなってどろどろになるまでこれを繰 り返し、辛子を入れてよく混ぜる。
好みで葱などの薬味を入れる。練り上がった納豆を茶碗にアツアツのごはんを盛った上へ適当に(ごはんの1/4程度)のせ る。
煎茶をかけ、塩気が足りなければ醤油を足して食べましょう。

てんぷらの茶漬け
魯山人によると、てんぷらは揚げたてでもよいが、「てんぷらの茶漬けは古い天ぷらの利用にある」とのこと。
残り物の天ぷらを網にのせあぶって、いくぶん 焦げ目ができるくらいに。
それを熱いごはんの上にのせ、濃いめのお茶をかける。
ポイントはてんつゆでなく、醤油か塩をかけること。
大根おろしを添えても良 く、辛味大根ならなお良しだそうです。

はもの茶漬け
「茶漬けの中で最も美味いもののひとつに、はもの茶漬けがある」と、魯山人も絶賛のお茶漬け。
焼いたはもを熱いごはんの上にのせ、箸で押しつぶすようにごはんになじませる。そこに適宜醤油をかけ、玉露か煎茶を注いで蓋をして1分ほど蒸らし、箸で肉をくずしながら食べる。贅沢ですね。


「よくよく考えてみれば、人の食物に対する要求は、結局肉体がその食物を要求しているので起こると言える」

あなたの身体はどれを要求していますか?


<参考文献>
北大路魯山人(平野雅章編)『魯山人味道』中公文庫
福田アジオ・新谷尚紀・湯川洋司・神田より子・中込睦子・渡邊欣雄編『日本民俗大辞典』 吉川弘文館
中村羊一郎「お茶漬けの意味・由来・歴史」(ホームページ『O-CHA NET』所収)
2010.10.04 Monday 食と文化 00:00 comments(0)
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