【用務員のつぶやき】Rice(ごはん)サイエンスセミナーのご案内

 大阪ガスの「食育」活動として、主食である「ごはん」の文化について、理解を深めて次世代への継承を薦める趣旨のもと、「Rice(ごはん)サイエンスセミナー」を実施されています。
皆さまのところでもいかがですか?
詳しくは下のPDFをご覧ください。※クリックで別ウインドウ表示されます。

2011.11.08 Tuesday 用務員のつぶやき 14:22 comments(0)

親から子へと伝える「食」のあり方

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いま子供たちに対する食育の大切さが盛んに言われています。

食育には、健全な食習慣を身につけさせるほかに、日本の伝統の味を子供に伝えるという目的があると思います。


子供は放っておけば、脂があって甘みがある、欧米型の食事を好きになってしまいます。
私は、将来自分が食べるものの基盤を作るという意味で、子供に日本の伝統的な味を教えることが重要だと思っています。


そのためには日本の伝統的な食べ物、ごはんやだしなど、昔から人々が食べてきたものをおいしく感じるようになることが、一番大事だと思います。


そこで、お父さんお母さんにぜひやっていただきたいのは、ごはんを食べることです。
ごはんをたくさん食べれば自然にそれに合うものを作りますから、野菜もだしも全部ついてきます。

白いごはんを食べるということが子供に伝統の味を伝える一番簡単で効果的な方法だと思います。


日本人のお米の消費量は、高度経済成長以降どんどん減ってきています。

戦前は一人が1年間に120〜130kgのお米を食べていましたが、今では輸入農産物に押されて年間55kgほどになっています。

でも、お米なら日本で作っていますし、農家の人が近くにいて、その地域で作っているわけです。

食育で言われている大事なことはすべて“ごはんを食べましょう”でできることではないでしょうか。


おかずについていうと、日本はごはんのおかずとして西洋のものをうまく取り入れてきました。

これは続けたほうがいいと思います。
家庭で作るハンバーグなどは典型ですが、それをパンにはさんでしまうともう日本型ではなくなってしまいます。

だから、ごはんとおかずという形を変えずに新しい料理を取り入れていくのは大事なことだと思います。


最近では、親と子供が一緒に食事をしなかったり、親が子供に何を食べたいかを聞いたりしていますが、これはあまりよくありません。

食の教育という観点から見れば、親が、長い歴史の中で出来上がった食の文化を子供に与えなければいけないのに、子供が食べたいものを提案して親がそれに合わせるというのは、食育の逆流であり退行だと思います。


ではどうすればよいかと言うと、親は子供の前でおいしそうに食べることです。

これはとても大事だと思います。
無理やり強制して食べさせても子供は嫌いになるばかりです。
子供は親がおいしそうに食べるのを見て「ああ、自分も大人になったらこういうものを食べるのかな」ということを学んでいくわけです。

食の好みは遺伝しません。
好みは、親が子供に教えて初めて伝わっていくものです。

もし子供に何も教えなかったら、食の文化は途絶えてしまうということです。

食べて欲しい味を子供に伝えるのは、早く始めるほど楽です。
幼稚園、小学校に行って子供が自分の好き嫌いを作ってしまってからでは、親が無理やり食べさせようと思ってもすごく大変ですから。


べつに食経験の豊富な子供に育てる必要はありません。
ごはんとだしのおいしさがわかる子供であれば十分です。それには幼児期の「食」がカギになります。まずごはんとだしを好きになる食育を進めてみてください。

平成27年1月一部改訂
2011.03.30 Wednesday ごはんと食育 00:00 comments(0)

お米づくりと儀式

 
お米づくりは、日照りや大雨など自然の力に大きく左右されます。

古来、このような自然の脅威からお米を守りたいという願いから、各地で様々な儀式や行事が行われてきました。

お米づくりの節目節目で行われる儀式のいくつかを紹介していきます。




まず、お米づくりは、種まきから始まります。

種まき時に豊作を祈願する儀式として、祈年祭(きねんさい/としごいのまつり)があります。

この儀式は西暦675年に初めて国家的祭祀(し)として行われたとされ、祭祀を司る神祇官が五穀豊穣・天皇の安泰・国家安寧を祈りました。

応仁の乱以降、国家的な祈年祭は廃絶しましたが、明治時代には再び国家的行事として再興しました。

第二次世界大戦後は国家的行事ではなくなっていますが、今でも、宮中や伊勢神宮、各神社で行われています。

特に、伊勢神宮では、大御饌(おおみけ)の儀奉幣(ほうへい)の儀という古いしきたりに基づいて行われています。大御饌の儀では、お供え物であるお米などを奉り、豊作と平和をお祈りします。奉幣の儀では、皇室からのお使いにより、天皇陛下から神々への貢ぎ物である布などが奉納されます。


種をまき、ある程度苗が育つと、田植えをします。

田植えの時に田の神がやってくるといわれており、この田の神をまつる行事が大田植(おおたうえ)です。

大田植は、村総出で1日で田植え作業を終わらせる儀式です。美しく飾ったウシを引き入れて代かきをさせ、笛、太鼓、ささら、かね等の囃子に合わせて、新しい晴れの着物に身を包んだ早乙女たちが田植え歌を歌いながら、苗を植えていきます。

この儀式は、今でも中国地方の山間部などで残っています。


田植えが終わると、稲は収穫に向けてすくすくと育っていきます。このときに、問題となるのが水不足です。

昔から、空梅雨(からつゆ)や日照りにより水不足になることを恐れ、各地で雨乞いが行われてきました。

雨乞いには、村民が神社や寺院にこもって祈願したり、山で火を焚いて太鼓を鳴らしたりするなど、様々な形態があります。

今でも、各地で雨乞い祭といった行事が行われています。


水不足以外にも、イナゴやウンカ、ズイムシなどの害虫による被害もあります。

そこで、たいまつの火で虫をおびき寄せて焼き殺してしまう虫送りという行事が行われていました。

ただ、現在は、農薬が発達したこともあり、火事の危険がある虫送りはあまり行われなくなっていますが、祭や行事としてその名残が残っています。


秋を迎え、黄金色の穂がつくと、いよいよ収穫です。

この収穫を祝う儀式として新嘗祭(にいなめさい)があります。

これは、豊作を願う祈年祭と対になる大きな儀式で、宮中や伊勢神宮、各神社で行われます。

収穫された新米やお酒を神に供え、神とともに食するという儀式です。


農薬やコンバインなどの技術が発達するにつれ、このような儀式や行事はだんだんと行われなくなりました。

しかし、今でも、地球温暖化の影響により、暑い日が連日続いたり、巨大台風が発生したりして、お米がとれないこともあります。

あらためて、儀式や行事を見直し、お米がとれることを自然に感謝する気持ちを思い出すことが必要なのではないでしょうか。

2011.03.28 Monday - 00:00 comments(0)

「普通の食事」こそ、最も大切なもの

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現在の社会では、さまざまな食物を普通に食べていれば、欠乏する栄養素はほとんどありません。

この「普通に食べている」ということが重要です。


しかし最近は、その「普通の食事」ができない人が増えているといえるでしょう。
それは食べ物が氾濫しているからだと思います。


食べないと体に障る、あるいは問題だという意識が昔の食べられない時代にはありました。

今は、コンビニやスーパーに行けば何でもあります。
食べようと思えばいくらでも食べられるので、食を軽く見すぎてしまっているのだと思います。
特に若い人にはそういう傾向があるかもしれません。


ダイエットというのは、食べ物が豊富にある時代にだけもてはやされる現象で、飢餓の時代にダイエットする人はまずいません。

今はちゃんと食べなくても死にはしないだろうという安心感があります。
それが重なって、最後は生活習慣病や過激なダイエットに結びついてしまっているのではないでしょうか。


何かひとつの食べ物で、健康になるということはありません。
健康というのは、さまざまな食物を摂取できて、うまく代謝が回転しているときに、確保できるわけです。


また、何をどれだけ食べればいいかという場合、「このくらいで大丈夫」という幅は、結構広いのです。

人間は多少の栄養素の偏りに対して適応する高い能力があります。
過剰に栄養素をとれば排泄するか貯蓄するし、少なければ代謝の回転を落とすなりして大事に使っていきます。

人間の身体には恒常性を維持する機構がいつでも働いているのです。
それは人間の身体が困難、不利な条件で栄養学がなかった時代でも長年培ってきたものです。

ですから、普通の生活を送っていれば、何が何ミリグラム必要かなど、あまり神経質にならなくてもいいと思います。


「普通の食事」で、人間にとって一番重要なものは、血糖、つまり、血液の糖分です。

糖は人間の最も大事な器官である脳の唯一の栄養です。
糖分が不足すると肝臓やすい臓、筋肉も分解してしまいますし、血糖値が低下すると昏睡してしまいます。


糖というと砂糖を連想してしまいますが、米やジャガイモに含まれるでんぷん質と砂糖や麦芽糖などの甘い糖は生理的には、ほぼ同じものです。

一般的に栄養学ではでんぷんを含めて糖質といいます。


糖の次に大事なのは、心臓などの臓器や筋肉、神経、血球などを作るばかりでなく、免疫も支えるタンパク質です。

タンパク質の原料となるアミノ酸の多くは糖からは作れませんから、食べなくてはなりません。


それでは脂肪は生きていくうえでどういう関係にあるかというと、結局は身体の中のあまったエネルギーの貯蔵形態です。

必須の脂肪酸がいくつかありますが、微量でいいので「普通の食事」で足りています。
ですから、現代の私たちは、脂肪をそれほど積極的に食べなくても大丈夫です。


そうすると、「普通の食事」をどう捉えるかが、大事になると思います。

それはもちろん栄養素の量で捉えられるようなものではなくて、たとえば、親は何を食べていたか、自分は今、何を食べたいのか、というようなことから考えるということです。


肥満などが問題になる少し前の一般的な日本人の食生活は、いいモデルだったと思います。あの頃のような朝昼晩の食事を基本に考えれば、ほぼ大丈夫ではないかと思います。



<参照・出典:「人間は脳で食べている」「おいしさを科学する」著・伏木亨 ちくま新書>
2011.03.26 Saturday ごはんと食育 00:00 comments(0)

これからの時代の栄養学とは


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現在の栄養学をめぐる状況は大きく変わってきています。

昔は、栄養素の摂取が足りない時代でしたから栄養素(炭水化物、たんぱく質、脂肪、ビタミン、ミネラルなど)の働きや含量が強調され、食べすぎについてあまり考えなくても良く、何を食べても体にとってよかったのです。

肉を食べるのはいいことだったし、「1日1回油を使いましょう」といった時代もあったほどです。


ところが、1970年代あたりから、日本人の食生活は豊かになって、十分な栄養素を摂りだすようになります。

さらに過剰にカロリーを摂取するようになり、生活習慣病、肥満が問題になり、今に至っているわけです。


私たちは食べ過ぎの時代に入ったわけです。

今ではどうすれば食べ過ぎず、生活習慣病にならないかを考えなければならない時代です。ところがいまだに「○○が体にいい」と栄養素不足の時代と同じことが言われています。

食べ物が豊富な現代は、普通に食事をしていれば、栄養が足りなくて病気になることはほとんどありません。

むしろ、栄養をとりすぎて病気になることの方が大きな問題なのです。


栄養素が足りない時代につくられた今の栄養学は、もう栄養素が足りているのですから、一度、解体したほうがいいのではないかとさえ思います。


今の栄養学が解体したとしたら、次は、「これからの栄養学はどうあるべきか」ということになります。

改めて、栄養学の目的は何なのかを考えてみると、わたしは栄養学の目的は、まず人間それぞれの価値観を認めること、その価値観に応じて支援することだと思います。


とにかく体を強くしたい人、もっと体重を減らしたい人など、それぞれの価値観を認めることです。

それに対して適切な、その人にとっての最大の幸福をもたらす支援をするのが、これからの栄養学だと思います。


たとえば、今の若い人たちのダイエット傾向はとても強いものがあります。
「そんなことすると身体に悪いからもっと食べてもっと太りなさい」といっても、まず聞きません。

ということは、ダイエット傾向を、くだらない行為だといってしまっては、かえって逆効果なのかもしれません。

栄養学という科学である以上、人間にとって幸福をもたらすものでなくてはなりません。


多様化していく人間の価値観と、幸せに対する考え方に、細かく対応していくことが、これからの栄養学の目的だと思います。


つまり、「人間に優しい栄養学」がこれから求められる栄養学の形ではないでしょうか。



<参照・出典:「人間は脳で食べている」「おいしさを科学する」著・伏木亨 ちくま新書>
2011.03.24 Thursday ごはんと食育 00:00 comments(0)
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