ごはん食の移り変わり2<鎌倉時代〜戦国時代>

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前回からの続きです。


鎌倉時代

厚手のふたをつけた羽釜が広まり、ごはんの作り方も「蒸す」から、煮る・蒸す・焼くを合わせた「炊く」に発展しました。

戦いに備えて武術の修行に励んでいた武士たちの食事は、玄米の飯と焼き魚や野菜などのおかずに、調味料を添えただけという質素なものでしたが、肉や魚、新鮮な野菜などを食べていたので、伝統に縛られた貴族たちより健康で長生きをすることが多かったようです。


室町時代

日本の代表的な調味料のひとつ「しょうゆ」が普及したのは、室町時代の中期以降のことです。

しょうゆは、古代の調味料、「醤(ひしお)」からできたといわれています。ひしおは、米や麦、豆などを発酵させてから塩をふくませたもので、奈良時代の「大宝律令」にも醤院(ひしおつかさ)という役所が作られていたという記述があります。
このひしおが「溜(たまり)」となり、さらに「醤油」に発展していったとされています。

ちなみに日本のもうひとつの代表的な調味料「味噌」もその歴史は古く、奈良時代の文献に「未醤」として登場しています。
今日のものとはだいぶ違うのかもしれませんが、鎌倉時代には、おかずや戦場での食料として食べられていました。
室町時代には味噌汁が作られるようになり、以後、日本人の食事には欠かせないものになりました。


戦国時代

日常の食事はそれまでと大きくは変わりませんが、戦になると、武士は普段とは違う食事をとりました。

にぎり飯や米を炊いて乾燥させた干し飯(ほしいい)などです。
また、サトイモの茎で縄を作り、それを味噌で煮てから干し、これを刻んで湯の中に入れれば即席の味噌汁になりました。
今で言うインスタント食品の始まりですね。


鎌倉から戦国時代にかけては、現在の私たちにまでつながる食事の基本部分が徐々に確立した時代でした。

それまでは、食事はふつう朝夕2回でしたが、鎌倉時代頃から、武士や農民、僧侶などが朝夕の食事以外に間食をとるようになりました。

室町時代になると、その習慣が貴族や商工業者などの町人たちにも広がり、やがて江戸時代には、昼食を入れた3食が普通となり、現在にいたっています。

また、伝統を守る貴族は、米を蒸した「強飯(こわいい)」を食べていましたが、武士や庶民は、今の飯にあたるやわらかい「姫飯(ひめいい)」を食べるようになりました。
米はまだ贅沢なものでしたが、徐々に庶民の間にも広がっていきました。


(その3に続く)



<参照・出典:ごはんを食べよう国民運動HP、米穀機構・米ネットHP>

2010.12.20 Monday お米の歴史 00:00 comments(0)