端午の節句とお米の関係

201010_07.jpg

端午は男の子ではなく、女の子の節句だった!?

5月5日は端午の節句。
男の子のいる家庭では、鯉のぼりや五月人形を飾り、子供の成長を願ってお祝いする人も多いと思います。
端午の節句は、中国から伝わって日本で作り変えられてきた行事の一つです。
端午の“端”が物の始まりを指すことから、もともとは月初めの午の日が節句として祝われていましたが、後に“午”が“五”に通じることから5月5日が端午の節句になったと言われています。


古代中国では、端午の日に、ヨモギで作った人形を門にかけたり、ショウブを浸したお酒を飲んだり、ショウブで作った舟で競争したり、薬草摘みを行ったり、けがれをはらい、災厄から逃れるための行事が行われていました。


一方、日本では5月は田植えの季節。
5月5日は、田の神を迎えて豊穣を祈るために、未婚の娘たちが巫女(みこ)となり、ショウブの葉やヨモギで葺いた“女の家”という小屋にこもり身を清める“五月忌(い)み”という儀式を行っていました。

これが、中国から伝わった端午と結び付けられたようです。
つまり、端午は元々女性の節句だったのです。


その後、鎌倉時代に武家が台頭してくると、ショウブは「尚武(しょうぶ)(武を尊ぶ(たっとぶ))」に通じることから、この日に流鏑馬(やぶさめ)や印地打(いんじうち)(石合戦)、菖蒲打(しょうぶうち)など、男子中心の勇ましい行事が行われるようになりました。

そして、武具を飾ったり立身出世を願って鯉のぼりを立てる、男の子の節句となっていったのです。


水田の美しい風景、見に行きませんか?


実は、田植えと深い関係にあった端午の節句。
これに限らず、よく目を凝らせば、日本では季節ごとの年中行事やお祭り、郷土芸能などに、稲作が深く関わっていることに気がつきます。

近世以前の日本社会では、農民は収穫した農作物のうちの一定量を年貢として納める必要があったため、豊作にご利益があるとされる神への強い信仰心が、数々の行事を生んだのでしょう。


例えば、正月は稲作を守ってくれる神様が来るので、それをお迎えする行事だとも言われますし、鏡開きの日は、昔は仕事始めであり鍬(くわ)入れの日でもありました。


このように、日本の年中行事を中心とする生活様式は、稲作の予祝(よしゅく)、報謝儀礼と、正月や盆の祖先への送迎儀礼とが組み合わされて、農作業の折節(おりふし)に配置されているのが分かります。

全国各地で行われている年中行事や祭りは、その歴史をひも解けば、大半が豊穣を祈願するものに行き着き、日本文化は米作りに根ざしているといってもいいのではないでしょうか。


さらに水田は、心の原風景としても日本人の根っこの部分を支えているのではないでしょうか。

緑色や黄金色の水田の広がりは、都会で生まれ育った人や若い人でも、なんとなくやすらぎを感じるものです。

山や湖や牧場があったりというリゾート地のように、滞在して何かをするということはないけれど、水田のある農村風景を電車の窓から目にしたり、ドライブして通り過ぎるというだけであっても、ある種の心地良さを感じるという人も多いだろうと思います。


水田は四季の営みによって、ダイナミックにリズミカルに環境を変化させます。
稲刈りの後の乾田状態から、春になって耕起し水が張られた田、そして苗が植えられ育ち黄金色の稲穂が稔るまでに行われる中干し・湛水・落水。春のカエルやメダカ、夏のホタル、秋のトンボは水田に育てられる生き物です。

そして冬のガンやカモ、ツルをはじめ多くの鳥は水田をエサ場にしています。

田植えから1ヶ月間ぐらいは、水田の中に驚くほどたくさんの生き物を見つけることができます。
まるで農作業を見守るかのように、田植えを待って、生き物が産卵、孵化するのです。


このように、お米を作る水田はたくさんの生き物を育む環境でもあります。
さらに、眺めていても気持ちが良い。あなたも、田植えのあと山々を映した水田の美しい風景を確かめに、出かけてみてはいかがですか?

2010.10.18 Monday 食と文化 00:00 comments(0)