戦と米飯

 ごはんの四方山ばなし:戦と米飯
「腹が減っては戦はできぬ」と言います。

日本の歴史をひもとくと、国内では数々の戦が繰り広げられてきましたが、兵士を支えてきたのはやはり主食 のお米でした。
戦場という非常事態にある地域は、さまざま制限や困難があることは言うまでもありません。
そのような中で、お米はどのように食べられてきた のでしょう。


古事記によれば、日本武尊(やまとたけるのみこと)の東征のおり、足柄の山中で「御粮食(ミカレヒキコシメ)す」というくだりがあります。
これは干飯 (かれい)、つまりごはんを乾燥させ保存用にした糒(ほしい)と同じものと思われます。
出雲風土記には「御乾飯(ミカレヒ)」、日本書紀には「糒」が登場 しているので、神話の時代から糒があったと考えられます。


糒は袋に入れて携行し、袋のまま水や湯でやわらかくして食べたようです。
糒は塩とともに絶対的な軍用食で、古代の記述では糒は20年も保存できると保存性は折り紙付きでした。
糒以外にも米も持参し、保存のため籾のまま持っていくこともあったようです。


古代はお米を甑(こしき)で蒸して食べる強飯(こわめし)が一般的で、糒は強飯を加工したものでした。
ところが鎌倉時代になると今のような炊いたごはん、姫飯(ひめい)が流行、定着していきます。
それにしたがって戦場でも握り飯が好まれるようになりましたが、糒は携行食、保存食として明治期頃まで長らく採用されます。
豊臣秀吉は朝鮮の役の頃、沿岸の城に糒を保存せよと諸大名に指示していました。


一方の握り飯は、平安時代に登場し、発達していきます。
作るのに手間のかかる糒に取って代って、応仁の乱頃から握り飯がポピュラーとなっていきます。
握り飯は長らくその後の日本の軍用食として定着し、第二次世界大戦時にも食べられていました。


しかし、握り飯は糒のように何日間も保存できるものではないので、戦地でごはんを炊かねばなりません。
悪条件の中でごはんを炊くために、さまざまな方法 があったようです。
草を使用して炊く方法、焼き石を利用する方法、早炊き法などさまざまな工夫が知られていました。
また、青稲を食べる方法もありました。


ごはん以外にも、粥や餅も一部利用されていました。
粥は咀嚼(そしゃく)する必要がないので、危急の場合に用いられました。
餅は大福餅のようなやわらか いものが臨時の携行食として採用されていたようです。
また、生米もそのまま食するために携行していたようで、関ヶ原の合戦の記録にも生米を食したという記 述が残っています。水によく浸して食したようです。


明治維新を経て戦争も近代的になります。飯盒(はんごう)が登場するのは明治末期頃です。
さらに携行に便利な「セロファン袋飯」が登場し、旧陸軍がおお いに利用しました。
防水セロファンの中に米と水を入れ口を閉じ熱湯に入れて炊飯するもので、焼けこげがなく炊き損じが少ないという利点もありました。


自衛隊では缶詰やレトルトの携行食が使用されています。最近の戦闘食(ミリメシ・ミリ飯)ブームでにわかに注目を浴びていますが、赤飯や牛飯など数種類 あり、味は濃いめでカロリーも高くなっています。東京都練馬区の陸上自衛隊広報センターでカロリーが抑えられたお土産用の戦闘食を販売していますので、興 味がある方はどうぞ。


参考文献
陸軍糧秣本廠編『日本兵食史(復刻版)』有明書房
窪寺紘一『米の民俗文化史』世界聖典刊行協会 
「ミリ飯ブーム生んだ“本家”自衛隊ランチ事情」内外タイムス2008年6月9日号(電子版)
玉山和夫、ジョン・ナンネリー『日本兵のはなし』マネジメント社


2010.11.17 Wednesday ごはん四方山話 00:00 comments(0)