肉とのし

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私たちの祖先が編み出した知恵、重ねた苦労、思い描いていた思想などから学ぶことは多いものです。

日本人と食文化」のシリーズでは、生活や習俗、そして地域と食のかかわりについてのエピソードを紹介します。


戦後の日本では食の西洋化が進み、私たちの食生活はすっかり「肉食系」になってしまいましたが、もともと日本人は肉をほとんど食べませんでした。

これは仏教で殺生を強く戒めたことが主な原因と言われています。
しかし、仏教が入ってくるずっと前、先史時代は肉が大切な食料であったことは、縄文の遺跡から獣骨がたくさん出てきていたことからも想像に難くありません。


当時は牧畜をしていたのではなく狩猟により肉を得ていて、獣を捕らえさせてもらうために神に祈りをささげていたようです。

その際、いけにも供えることが普通でした。

かつて獣を殺すことを「ホウル」といいましたが、獣をホウって神にささげる役目を担っていた神主のことを「ホウリ」といっていたようです。


東日本のシカやクマ、西日本のイノシシなどの野獣は例外として、仏教が入ってきてから肉をほとんど食べなくなった私たちの祖先も、魚だけは食べていました。

そして、それまで神には獣肉を供えていたものが、肉に代わって魚になっていきました。

そこから、めでたいときはなまぐさい魚を食べ、逆に不幸のあったときはなまぐさい物を食べないというような区別が生まれてきます。


こうして「なまぐさい物」=「めでたい」が定着していき、お正月や村全体で祝う祭りなどの行事や、結婚式、成年式、誕生日など家々の吉事には魚を食べるようになると、家々での祝い事の際はともかく、正月などになると同じ日に村中、国中が祝うので、たいへんたくさんの魚が必要になる訳です。

すると、たくさん獲れる大きな魚が必要です。
ゆえに、東日本ではさけやます、西日本ではぶりが、正月用の魚として用いられたのです。


おもしろいことに、かつてはにも魚を食べていました。

盆というと仏事で縁起の良いイメージではありませんが、仏教が日本に入ってくる前は、盆は正月と同様に一年の区切りで、それが死んだ者の祭りになったという説があります。

近畿地方の山間部では「めでた盆」とか「生き盆」というならわしがあり、死者が出なかった年や両親の揃っている家では子どもが親にサバやトビウオなどを買って持ってきたそうです。

冷蔵庫などない時代ですから、サバは塩物、トビウオは背を割いてひらきにした干物でした。
ちなみにサバは熊野のものが、トビウオは日向のものがうまいとされていたそうです。


盆や正月のみならず、めでたいときは季節の魚を食べていたようです。

瀬戸内では4月頃に人を招いてタイをごちそうする風習があったとか。
また、田植えの時にはスズメダイを食べ、半夏生(はんげしょう=夏至から数えて11日目)にはタコを食べ、大和地方では秋祭りにカニをたくさん食べ、西日本では稲の刈りあげの祝いにシイラを食べるなど、地域地域で決まった時期に決まった魚を食べる風習が定着していきます。

それは、獣肉にかわり魚が重要なたんぱく源として生活に深く根付いていったことの傍証でもあります。


ところで、今日、吉事の際に祝儀を渡すとき、必ずのし(熨斗)をつけたり、のし袋に入れたりしますよね。
こののしはなぜ祝い事についてまわるのでしょうか?

実は、のしは「なまぐささ」を意味するもので、つまり吉事をあらわしているのです。

そして、もともと「のし」は「のしあわび」だったのです。

アワビを細長くむいて伸ばして天日干しにし、乾いたものをへらのようなものでのして束にして、かつては朝廷などに献上していたのです。
今でも伊勢神宮では、のしあわびが奉納されています。

こののしあわびを祭りの時にはなまぐさいものとして神前に供え、めでたいことのある時には贈り物にしたのでした。

それがやがて、物を贈るときにそれがめでたいものであると、のしあわびを一枚紙に包んで添えたのです。

ちなみに、のしはなまぐさいものを象徴するので、贈り物が魚や鳥のとき、贈り物に鰹節などの動物質の食物が添えられているとき、葬儀や法事などなまぐさいものを食べてはいけない精進の日のときには、のしはつけないのがならわしです。


それが今日、あわびの姿は消えても、のしとして吉事をあらわすスタイルが残っているのです。

今やあわびは超高級食材。
もしのしあわびを添える風習が残っていたら、贈り物よりのしの方が高くついたかもしれませんね。



参考文献
宮本常一『宮本常一著作集24 食生活雑考』未来社
柳田国男『定本 柳田国男集』筑摩書房
国崎町町内会ホームページ

2011.02.25 Friday 日本人と食文化 00:00 comments(0)