鎖国とさつまいも

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私たちの祖先が編み出した知恵、重ねた苦労、思い描いていた思想などから学ぶことは多いものです。

「日本人と食文化」のシリーズでは、生活や習俗、そして地域と食のかかわりについてのエピソードを紹介します。


グローバル化がすすんだ現代社会において、経済のダイナミズムは国境ですら軽々と乗り越えています。

一方でその動きに乗じ、わが国は海を越えて安価なものを求めてきた帰結として、食糧自給率が約4割と危険水域に入りつつあります。
しかも、肉は国産でもその飼料はアメリカ産だったり、野菜は国産でもその種子は中国産だったりと、自給率の数字に隠れた現実を顧みると、わが国がいかに食料を海外に頼っているかがわかります。


そんな日本も、海外からの貿易をほぼ遮断していた時代がありました。

それは、寛永16年(1639)にはじまり安政5年(1858)まで続いた鎖国の時代です。

鎖国が可能だったのは、食糧を自給できたからにほかなりません。
200年以上もの長きにわたり自給率100%が可能だったとは、現在では想像もつきませんよね。


当時は幕藩体制で、それぞれの地域は領国ごと大名が統治していました。
ですから、飢饉に襲われると、食糧のある地域の殿様はその藩内の米をほかに売り出すことをやめてしまう津留(つどめ)をおこない、領国内の食糧を確保します。

裏返せば飢饉がおきてもほかの藩から米を得ることは困難ということです。

だから、飢饉をおこさないようにしないと藩の存亡にかかわり、どんな小さな藩であっても食糧を自給できる態勢を整えなければならなかったのです。

食糧の自給は地域の問題ゆえ、食糧危機になると庶民にもストレートに打撃がきました。
つまり、米不足が起きても自分たちは何もする必要はなく、黙っていても政府が備蓄米を放出しタイから米を輸入してくれる現代とは違い、民衆にとって食糧の確保は死活問題だったのです。


そんな民衆にとって大きな力となってくれたものは、意外にも鎖国直前に海の向こうから新しくやって来た作物でした。

それはさつまいもです。

1492年に新大陸を発見したコロンブスが、さつまいもをスペインへ持ち帰りイザベラ女王に献上した話は有名ですが、さつまいもはそれ以降(ポリネシアではそれ以前から)世界中へと広がっていきます。

日本本土へは中国〜琉球を経て元和元年(1615)にやって来たという説が有力です。
これは、長崎の平戸からシャムに向かって出航した三浦按針(あんじん)ことウイリアムス・アダムスが船の不備のため那覇から引き返すこととなった際、そこでみつけたさつまいもを持ち帰り植えたものです。

また、薩摩ではフィリピンのルソンから慶長17年(1612)頃伝えられたという説もあります。

いずれにせよ17世紀前半に日本に渡来し広がりますが、当時は蕃薯(ばんしょ)、またはリュウキュウ芋とよばれていたようです。

ほかにもいくつかの経路があり、さつまいもは徐々に広がっていきます。

しかし、当時の栽培法は芋そのものを植えるもので、種芋に対する収穫量はそう多くはありませんでしたが、多収が得られるツル植えがおこなわれるようになる17世紀後半頃から第二次の伝播がはじまり、特に水田が少ない九州西部から瀬戸内にかけては急速に広まっていきます。

中でも離島のように平地が少なく水利が悪いため米作りが難しいところでは、さつまいもは貴重な食糧として定着していきます。

瀬戸内にさつまいもがもたらされたのは正徳4年(1714)頃。

その18年後の享保17年(1732)に西日本ではウンカの大発生により稲作は壊滅的な被害に遭いましたが、さつまいもの入っていた瀬戸内の大三(おおみ)島や生口(いくち)島では飢饉による死者は出ていません。

それどころか人口の増加を支え、地域に活力を与えてくれたのです。

さつまいもの伝播には、旅がひとつの情報源として大きな役割を果たしていたようです。
大三島の下見(あさみ)吉十郎は愛児たちを次々と失った悲しみから追悼の旅に出かけ、薩摩の伊集院でさつまいもを知るのですが、これを故郷へ持ち帰ればどれだけ多くの命が救われるだろうと考えます。

そこで、作り方を熱心に聞き、持ち出し禁止の種芋を着衣の深くに隠して郷里へ持ち帰り広めていきました。

また、石見(いわみ:島根県西部)では井戸正明(まさあきら)という代官が、旅の僧から薩摩の国ではどんなやせ土にもできて日照りにも強く味も良い芋を作っているとさつまいもの話を聞き、すぐに種芋を取り寄せ、そこから山陰一帯へ広まりました。

さつまいもで有名な人物といえば青木昆陽(こんよう)ですが、彼は徳川吉宗の後ろ盾を得て、関東近郊や伊豆諸島、佐渡島などへ種芋と栽培法を記した『蕃薯考』を配布してさつまいもの普及に努めました。

このほかにも武士、名主、医者、学者、船乗り、漁夫、農夫など、多くの勇気と善意ある民衆たちのおかげでさつまいもは広がり、数多くの命が飢饉から救われたのです。


このようにさつまいもはもともと国家がトップダウン的に広めたものではなく、庶民たちが生きる糧として求め、自らの手で得てきたものなのです。

その営みの積み重ねこそ、食糧の自給をなし得る力となり、鎖国下でも干上がらない国をつくっていたのです。

このことは危機的な状況にあるわが国の自給率を考えるにあたり、非常に大きな示唆となることでしょう。

食糧自給の問題とはつまり、私たち一人ひとりの問題であるのです。

2011.02.23 Wednesday 日本人と食文化 00:00 comments(0)