お茶碗は左…なぜ?〜日本料理の作法


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これから年末になると忘年会など宴会のシーズンを迎え、新年会、歓送迎会と宴席に招かれる機会も多くなります。


無礼講で大騒ぎ!という宴会の場合は別として、きちんとした日本料理の膳を前に、どのような作法で食べるのか悩むことはありませんか?


現代の日本料理は、幕末から昭和初期にかけて完成された花柳界の会席料理が基本形となっていますが、その源流をたどると犇足瓠覆△─砲砲燭匹蠱紊ます。

犇足瓩箸話韻覆訖べ物のことではなく、自分よりも身分の高い人や神様を饗応(きょうおう)することで、その起源は山の神や田の神(この両者は同じ神様という地域も多い)などを招いた儀式にあるといわれています。


そもそも「料理」という言葉が初めて登場するのは、宮中の儀式や制度を記録した平安時代の『延喜式』(えんぎしき)という書物で、そこからも日本料理が儀式、つまり犇足瓩粒鞠阿反爾関わっていることがうかがい知れます。

つまり、日本料理は饗応に伴う作法と切っても切り離せない関係にあるのです。


会席膳に箸置きが出ていないとき、「不親切な店だ」と気を悪くし、箸をおわんの上に置いたりしていませんか?

もともと会席膳に箸置きは使用しません。
なぜなら、箸の濡れた先を膳の左手前の縁にかけて置くのが作法だからです。
ちなみに、箸袋で箸置きを作ってそこに箸を置いてもOKですが、食器にかける<渡し箸>は取り分け用の箸以外は不作法とされます。


<○○箸>とよばれる禁忌はほかにも…


<ねぶり箸>箸の先を口の中に入れてなめること
<迷い箸>箸を持ってどれを食べようかあれこれ迷うこと
<寄せ箸>箸で器を引き寄せること
<さぐり箸>汁の実などを、中身をさぐるようにして食べること
<つき箸・刺し箸>箸先で食べ物を突き刺すこと
<すかし箸>魚の中骨を取り除かずに、下身を骨と骨の間からほじり出すこと
<にぎり箸>箸を握って使うこと
<こみ箸>器に口を寄せて箸でかき込むこと
<トントン箸>箸を垂直にトントン立ててそろえること
<せせり箸>箸先で楊枝のように口の中をかき回すこと
<涙箸>箸先からしずくを垂らすこと
<指し箸>箸で人や物を指すこと
<移り箸>料理にいったん箸をつけてから食べるのをやめて、別の料理に移ること
<渡り箸>おかずからおかずという順番で食べること


また、日常の食卓でも、主菜を真ん中にして左にお茶碗(ごはん)、右にお椀(汁物)と配膳しますが、これは食べやすいからではなく、作法によるものです。

日本ではもともと右上位のならわしがあり、陰陽五行(いんようごぎょう)論により、ごはんは「陽」、汁は「陰」と定められ、配膳する人から見て上位の右に「陽」のごはん、下位の左に「陰」の汁物を置くのが定式とされているからです。


このように日本料理にはさまざまな決まり事がありますが、これこそまさに文化であると言えるでしょう。
作法を守ることは、文化を理解することにもつながるのです。



参考文献
阿部孤柳『日本料理の真髄』講談社+α文庫

2010.10.20 Wednesday 食と文化 00:00 comments(0)

端午の節句とお米の関係

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端午は男の子ではなく、女の子の節句だった!?

5月5日は端午の節句。
男の子のいる家庭では、鯉のぼりや五月人形を飾り、子供の成長を願ってお祝いする人も多いと思います。
端午の節句は、中国から伝わって日本で作り変えられてきた行事の一つです。
端午の“端”が物の始まりを指すことから、もともとは月初めの午の日が節句として祝われていましたが、後に“午”が“五”に通じることから5月5日が端午の節句になったと言われています。


古代中国では、端午の日に、ヨモギで作った人形を門にかけたり、ショウブを浸したお酒を飲んだり、ショウブで作った舟で競争したり、薬草摘みを行ったり、けがれをはらい、災厄から逃れるための行事が行われていました。


一方、日本では5月は田植えの季節。
5月5日は、田の神を迎えて豊穣を祈るために、未婚の娘たちが巫女(みこ)となり、ショウブの葉やヨモギで葺いた“女の家”という小屋にこもり身を清める“五月忌(い)み”という儀式を行っていました。

これが、中国から伝わった端午と結び付けられたようです。
つまり、端午は元々女性の節句だったのです。


その後、鎌倉時代に武家が台頭してくると、ショウブは「尚武(しょうぶ)(武を尊ぶ(たっとぶ))」に通じることから、この日に流鏑馬(やぶさめ)や印地打(いんじうち)(石合戦)、菖蒲打(しょうぶうち)など、男子中心の勇ましい行事が行われるようになりました。

そして、武具を飾ったり立身出世を願って鯉のぼりを立てる、男の子の節句となっていったのです。


水田の美しい風景、見に行きませんか?


実は、田植えと深い関係にあった端午の節句。
これに限らず、よく目を凝らせば、日本では季節ごとの年中行事やお祭り、郷土芸能などに、稲作が深く関わっていることに気がつきます。

近世以前の日本社会では、農民は収穫した農作物のうちの一定量を年貢として納める必要があったため、豊作にご利益があるとされる神への強い信仰心が、数々の行事を生んだのでしょう。


例えば、正月は稲作を守ってくれる神様が来るので、それをお迎えする行事だとも言われますし、鏡開きの日は、昔は仕事始めであり鍬(くわ)入れの日でもありました。


このように、日本の年中行事を中心とする生活様式は、稲作の予祝(よしゅく)、報謝儀礼と、正月や盆の祖先への送迎儀礼とが組み合わされて、農作業の折節(おりふし)に配置されているのが分かります。

全国各地で行われている年中行事や祭りは、その歴史をひも解けば、大半が豊穣を祈願するものに行き着き、日本文化は米作りに根ざしているといってもいいのではないでしょうか。


さらに水田は、心の原風景としても日本人の根っこの部分を支えているのではないでしょうか。

緑色や黄金色の水田の広がりは、都会で生まれ育った人や若い人でも、なんとなくやすらぎを感じるものです。

山や湖や牧場があったりというリゾート地のように、滞在して何かをするということはないけれど、水田のある農村風景を電車の窓から目にしたり、ドライブして通り過ぎるというだけであっても、ある種の心地良さを感じるという人も多いだろうと思います。


水田は四季の営みによって、ダイナミックにリズミカルに環境を変化させます。
稲刈りの後の乾田状態から、春になって耕起し水が張られた田、そして苗が植えられ育ち黄金色の稲穂が稔るまでに行われる中干し・湛水・落水。春のカエルやメダカ、夏のホタル、秋のトンボは水田に育てられる生き物です。

そして冬のガンやカモ、ツルをはじめ多くの鳥は水田をエサ場にしています。

田植えから1ヶ月間ぐらいは、水田の中に驚くほどたくさんの生き物を見つけることができます。
まるで農作業を見守るかのように、田植えを待って、生き物が産卵、孵化するのです。


このように、お米を作る水田はたくさんの生き物を育む環境でもあります。
さらに、眺めていても気持ちが良い。あなたも、田植えのあと山々を映した水田の美しい風景を確かめに、出かけてみてはいかがですか?

2010.10.18 Monday 食と文化 00:00 comments(0)

お米にまつわる日本の文化と風習〜恵方巻き〜

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幸福な春を迎えるための節分行事
 
立春が過ぎ、暦の上ではもう春。このように、冬から春への節目となるのが2月3日の節分です。そもそも節分とは、春夏秋冬それぞれの分かれ目「立春、立夏、立秋、立冬の前日」のことをいい、年に4回あるもの。
中でも厳しい冬を抜け、春が始まる立春はとりわけめでたい節目と考えられ、重要視されるようになりました。


さて、そんな節分にまつわる風習として、近年その人気がますます広がるものがあります。それは恵方巻きです。
節分の夜にその年の恵方(その年の福徳を司る吉神・歳徳神が在する方位)に向かい、目を閉じて願い事を思い浮かべながら太巻きを丸かぶりする…毎年実施されている方も少なくないでしょう。

“恵方巻き”には仕掛人がいた!?

この恵方巻きの風習、起源は関西にあります。
古くは江戸時代末期、大阪・船場の商人が商売繁盛の祈願事として始めたとも言われていますが、大々的に広がり始めたのは1970年代。
大阪海苔問屋協同組合が海苔の販売促進の一環として、風習を絡めたキャンペーンを打ち出したのがきっかけとなりました。

そこで、当時の様子をよく知るJF兵庫漁連の担当者に話を伺ってみました。

「私たちJF兵庫漁連でも兵庫のりを使い、独自のキャンペーンを行いました。
当時、神戸大丸前で恵方巻きの早食い競争を開催したり、節分の当日に鬼の面をつけて、地元の幼稚園を回ったりしていましたね。」

その兵庫のりは、明石海峡を中心とした潮流の早い漁場で育まれ、潮と寒冬の季節風にもまれ、しっかりとした質感で、色が黒くツヤが良いのが特徴です。
また、全国のグルメが注目する、明石タイ・明石タコを生み出した栄養豊かで豊潤な海で育っだのり゛は、おいしさの源であるアミノ酸を多く含んでいます。
芳醇な香りと歯切れの良い兵庫のりは全国2番目の生産量を誇り、ごはんを巻くのにうってつけで、巻き寿司やコンビニの海苔巻きおにぎりなどに大きなシェアを持つそうです。
もちろん、炊きたてのアツアツごはんとも相性抜群ですから、ぜひおうちでも、香り高い兵庫のりを使って、おいしいおにぎりを作ってみてください。


<農林水産統計データ(平成26年度)>
<取材協力:JF兵庫漁連HPhttp://www.jf-net.ne.jp/>

平成27年1月一部改訂

 
2010.10.15 Friday 食と文化 00:00 comments(0)

ひなまつりとお米

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冬が去り春になり、最初にやって来る賑やかな行事といえば、ひなまつりではないでしょうか。

ひなまつりの起源は諸説あり複雑なのでここでは割愛しますが、もとは人形(ひとがた)を流すなどお祓いという側面がいろいろなならわしのルーツであるといわれています。
また、お供え物などに田の神を迎える儀礼との関連を指摘する説もあるようです。


ひなまつりに欠かせないのがひしもちです。
ひしもちはご存知のとおり菱形で、紅・白・緑の三色が重なって華やかなひなまつりに彩りを添えています。

この色の意味については「紅=桃、白=雪、緑=草」という説もあれば、「紅=疫病除け・魔除け、白=清浄、緑=邪気払い」という説もあります。

江戸時代後期には、一尺(約30僉砲發△訛腓なひしもちを贈答した家もありました。


かつては3月3日に草餅を食べていたようです。
草餅に使用される草は、古くは春の七草の爛乾ョウ瓩任△詈貉卅陝覆呂呂海阿機法後にヨモギへと変化しましたが、この両者とも昔から薬草として知られていて、邪気を払う効果、つまり猖盻け瓩領呂あると考えられてきました。

ひなまつりはもともとお祓いの日に由来していたこともあり、その効果があると信じられてきた草餅がひしもちのルーツのひとつと考えられています。

ひしもちを飾る風習は江戸時代からですが、当時は白い餅と草餅を重ねた緑・白・緑という構成が多かったようで、現在でも一部の地域では緑・白・緑のひしもちを飾っています。


菱形という形についても、娘を襲った龍を菱の実を使い退治した、先端がとがっているため厄を除けるなど諸説あります。

また、菱形が女性を象徴するという陰陽道の解釈ともいわれています。

陰陽道では男性は狹鍬瓠⊇性は狠廊瓩醗銘屬鼎韻蕕譟△修劉狠廊瓩鮠歡Г垢觀舛方形なので、菱形は女性を象徴すると考えられているためです。


白酒もひなまつりの重要なアイテムです。
白酒は江戸時代初期からつくられていましたが、ひなまつりに飲むようになったのは江戸時代後期からです。

ある地域では流しびなの時、子どもたちは人形と白酒で別れの杯をおこなって、その後泣きながら人形を流したようです。


中でも江戸の酒屋「豊島屋(としまや)」の白酒は有名で、白酒は豊島屋の主が夢で紙びな様から作り方を伝授されて完成したという伝説もあります。
その人気はすさまじく、初春(2月)の白酒の売り出し日はなんと1,400樽も売り上げたそうです。

「山なれば富士、白酒なれば豊島屋」とまで言われた猝省瓩如繁盛の様子は江戸名所図絵にも記録されています。


ひなまつりには、もち米を原料とするあられや、お米のポン菓子に砂糖がけしたひなあられも用意されますが、広まったのは明治以降のことです。

また、ほかにもひな菓子として、関西ではあこやもちが知られています。

これは紅・白・緑などの餅の台に餡玉を乗せ、真珠貝に見立てたものです。


このように、ひなまつりのお供え物の多くはお米からできているのです。



参考文献
中山圭子『事典 和菓子の世界』岩波書店
新谷尚紀監修『和のしきたり : 日本の暦と年中行事』日本文芸社
福田アジオ、新谷尚紀、湯川洋司、神田より子、中込睦子、渡邊欣雄編『日本民俗大辞典』 吉川弘文館
豊島屋本店ホームページ http://www.toshimaya.co.jp/


2010.10.13 Wednesday 食と文化 00:00 comments(0)

茶碗に見つける美

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みなさんのお茶碗は美しいですか?


ほとんどの日本人は、「これは私の」とお茶碗を所有し、毎日のように使っています。
つまり、生活の中で何気なく当たり前のように実用している日用品であり、それをあらためて「鑑賞」することはあまりないと思います。


しかし、そこに「美」があるのではないか…と思った人たちがいます。


「民芸」と聞くとどのようなイメージが浮かびますか?
宇野重吉の劇団、という方もいらっしゃると思いますが、多くの方はこけし、いろり端、古びた徳利といった郷土的なイメージを思い浮かべるでしょう。


いかにも「古い」というイメージの民芸ですが、実はその言葉は大正時代に生み出された造語です。


当時、庶民が使用していた日用雑貨や雑器の多くは手づくりの工芸品でした。
日用品ですので当然消耗品として扱われ、文化的であるとか、美しいとかという視点で捉えられていなかったこのようなものはかつて「下手(げて)もの」などとよばれていましたが、思想家の柳宗悦(やなぎむねよし/1889〜1961)たちはそんな民衆の手によりつくられた民衆の生活のための雑貨・雑器にある種の美しさを見出し「民芸」という呼び名を与え、価値を付与していったのです。


これらのものは主に地方の産地で安価な生活用品としてつくられていた工芸品が多く、そのため民芸≒伝統工芸品となっていきました。

このような概念や思想を広めていこうと展開した文化運動が民芸運動です。

民芸における美の特質のうち、特に実用性は「用の美」とも語られ、民芸の重要な概念を担っています。
これは当時の工芸界が美に偏りすぎていく傾向をみせていたことから、柳たちは特に「用」の重要性を唱えたという背景があります。

この「使いやすいものは美しい」という考え方は、後のプロダクトデザイン(工業製品などのデザイン)にも大きな影響を与えています。


民芸運動は前近代的で土着的なものに焦点を当てましたが、そのまなざしは実にモダンなものでした。柳は当時先端をいく考えの持ち主でしたし、生活と芸術の融合を説いた英国のアーツ&クラフツ運動や、過剰な装飾より機能や合理性を重視したデザインを展開するモダンデザインにも関心を抱いていました。
これら海外の潮流と民芸とは、ともに人々の生活を快適で美しくするという、目指している境地が重なっていました。

民芸運動は工業化で消滅しつつある古来より受け継がれた日本の工芸品のなかに、生活を美しくする要素を見つけたのでしょう。


拡大解釈すると、民芸のまなざしとは、茶碗ひとつにも遊びやゆとり、そして美しさを毎日の生活の中で感じるような感性にあるのではないでしょうか。その意味で、シンプルで使いやすい器を愉しむことにも民芸のマインドがあると言えるでしょう。



参考文献
濱田琢司 監修『あたらしい教科書11 民芸』プチグラパブリッシング
柳宗悦『民藝とは何か』講談社学術文庫

<おことわり>本稿では本文中の表記を新字体の「民芸」に統一しています。

2010.10.11 Monday 食と文化 00:00 comments(0)
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