藁(わら)は究極のリサイクル資源

藁(わら)は究極のリサイクル資源

稲作により生み出されるのは、お米だけではありません。

稲を脱穀し残った茎や葉の部分、つまり藁は今でこそコンバインで裁断され田んぼにまかれて肥やしとなりますが、かつてはさまざまな生活必需品を生み出す重要な犹餮鮫瓩任靴拭

では、燃料や飼料以外に藁にはどのような利用法があったのでしょう。


ぞうりは漢字で書くと「草履」、わらじは「草鞋」で、まさに草=藁からつくられていました。

ちなみにぞうりは鼻緒を持つ下駄のような構造。

一方のわらじは先端から2本の紐が出て、これを両側の狷瓠覆繊砲箸い小さな輪とかかとの爐えし瓩箸いβ腓な輪に引っかけて足をしっかり固定するもの。

今で言うところの、サンダルがぞうり、靴がわらじという感覚で使われました。

また、鉄が貴重品だった江戸時代には、馬の蹄に蹄鉄をつけてすり減らすようなもったいないことはできず、馬にもわらじを履かせていました。


レインコートの役割を果たす蓑(みの)も、雨天時の作業に欠かせませんでした。

藁なのに雨を通さないのは不思議ですが、びっしょり濡れた表面を伝って先端から水滴が流れ落ち、下の層にしみ出した水も同様に先端へと流れ、二段目、三段目と層を重ねるうちにほとんど濡れなくなっていくのです。

藁のチョッキのような背中当ても保温性にすぐれ、作業着として愛用されました。

ほかにも笠、帽子、手袋、腰蓑、藁靴など、さまざまな衣料品に藁が使われていました。


昔の農家では、1人あたり蓑と背中当てを各1つ、ぞうり15個、わらじ10個くらいを年間に用意したようです。

蓑は3〜4日で1着、ぞうりは1日20個くらいのペースで作ることができ、自家用以外にも大切な現金収入源として、藁は価値あるものでした。


衣料品以外では、農閑期になると藁で俵を編みました。

藁は食品保存にも大活躍で、俵以外にも酒樽、弁当入れ、おひつ入れ、鍋つかみ、鍋敷きなどにも用いられました。

弁当入れは夏に弁当が蒸れて腐ることがなく、おひつ入れは保温性が高く、いずれもすぐれた実用性を持ち合わせていました。

食品を保存するだけでなく、納豆づくりにも藁は欠かせません。

煮えた豆を藁で包むと、藁の中にいる納豆菌により発酵がおきておいしい納豆ができる訳ですが、まさに生活の知恵ですね。


住宅用でも、屋根の素材だけにとどまらず、壁材や畳まで幅広い用途がありました。

壁は竹材を組んで木舞(こまい)という下地を作りますが、竹材を結ぶのは藁縄で、壁土の芯の部分にはすさという切り刻んだ藁を使用しました。

畳も表面はい草ですが、中は藁でした。

ほかにもむしろから赤ん坊を寝かせておく爐┐犬貝瓠猫のベッドとなる倏つぐら瓩泙如⇒囘咾亘腟鵑鵬砲ありません。


藁を加工する時、ほとんどの場合は加工しやすいよう叩いて繊維をやわらかくしていました。」

不要になった藁製品は土に戻し肥料にしますが、やわらかくて繊維の密度が濃いので、堆肥にするにも灰にするにも未加工の藁と同じ手間で大量の肥やしができたのです。


ちなみに、うるち米よりもち米の藁の方が撥水性・耐久性が高いので、現在は神事用の藁を確保するために、農家にもち米の栽培を依頼している神社もあるようです。


田んぼから生まれたものを無駄なく利用して、再び田んぼへ。そしてまた新しい稲が生まれて…と、昔の人は実に上手にリサイクルさせていました。

環境問題や廃棄物問題が藁をも掴(つか)むような危機的状況になる前に、先人から学ぶことは多そうです。



参考文献
石川英輔『大江戸リサイクル事情』講談社文庫
阪本寧男『モチの文化誌』中公新書

2010.11.29 Monday ごはんと環境 00:00 comments(0)

夏の水田とさまざまな生き物たち

201011_11.gif七夕と稲作の意外な関係

7月7日は七夕。

七夕と言えば、思い浮かぶのが織姫と彦星の恋物語。

『天の川の西岸に住む織姫は、機織りの名手。

毎日機織りに勤(いそ)しんで美しい布を織り上げ、父親の天帝を喜ばせていました。

しかし、織姫は日夜一心不乱に働くばかり。

年頃の娘の将来を心配した天帝は、東岸に住む働き者の牛使い彦星を引き合わせ、二人はめでたく夫婦になりました。

ところが、結婚してからというもの、二人はあまりにも夫婦仲が良すぎて全く仕事をしません。


これに怒った天帝は、天の川を隔てて二人を離れ離れにしてしまいました。

しかし、悲しみに明け暮れる二人を不憫に思った天帝。

そこで、仕事に励むことを条件に、七夕の夜に限って二人の再会を許しました。

こうして二人は、七夕になると天帝の命を受けたカササギに乗って天の川を渡り、年に一度だけ会えることとなったのです。』


この七夕伝説から、古代中国では7月7日(現在では8月中頃にあたる)に二人の逢瀬を祝うと共に、織姫にあやかって機織の技が上手くなるよう、ひいては手芸や手習いの上達を願い、「乞巧奠(きっこうでん)」というお祭りが催されるようになりました。


日本では、7月7日は稲の開花期にあたり、水害や病害などが心配される時期。

また旧暦では7月15日がお盆だったこともあり、ちょうどその準備をする頃です。

そこで、7月7日の夜、収穫の無事を祈り、棚機女(たなばたつめ)という巫女が、棚機(たなばたと呼ばれる機織り機)を使って先祖に捧げる衣を織りあげ、それを祀って神の降臨を待つという禊(みそぎ)の行事を行っていました。


やがて、この行事と中国から伝わった「乞巧奠」が交じり合い、七夕は現在のような形に定着していったのです。


たくさんの命があふれる水田

織姫と彦星の恋物語だけでなく、手技の上達や、豊作の願いまでもが織り込まれていた七夕。

さらに昔は、田の虫を下流に追い払う「虫送り」という行事も行われていたようです。

現在でも、5月の田植えを終えた水田では、稲の穂が出る7月〜8月にかけて病害虫の発生が心配されます。


例えばウンカは、稲の汁を吸って次々と枯らしていきます。

その威力はすさまじく、放っておくと水田全体を枯らしてしまうほどです。

また、ウンカの親戚にあたるヨコバイは、稲の汁を吸うだけでなく、稲の病気を移して歩く恐ろしい害虫です。


しかし、水田に生息するのは悪い虫ばかりではありません。

水田には何百種類という生き物が暮らし、稲の生育を妨げる害虫や雑草をエサにしているものも多いのです。


7月上旬の水田には、オタマジャクシから成長し、上陸したばかりの子ガエルがたくさん飛び跳ねています。

カエルは主に、水田やその水路、ため池などに生息する生き物。

種類や生息地域によって多少の差はあるものの、一年中水があるため池では、3月下旬〜4月上旬が産卵の最盛期です。

ところが、水田は4月中旬〜下旬に水が引かれ、田植えは主に4月末〜5月上旬頃。
8月中旬〜9月上旬には完全に水が抜かれ、9月上旬〜下旬にかけて稲刈りが行われます。

そこで、水田に生息するカエルは、4月下旬〜5月上旬が産卵のピークとなります。
水を張る時期に合わせて産卵するタイミングを変化させているのです。
そして、稲刈りのために完全に水が抜かれるまでに、上陸を開始します。


また、同じく水田の生き物として馴染み深いトンボは、現在日本に約200種が生息していると言われ、そのうち約40種が何らかの形で水田を生息地として利用しています。

トンボという名は、田んぼや沼などの湿地を表す言葉が変化したという説や、稲の収穫時期に飛び交うものは古くから実りの象徴とされており、「飛ぶ穂」から変化したという説もあるぐらい、水田との関係が深い生き物です。

水田に生息するトンボは5〜6月に羽化するため、耕起・代掻きを行う4〜5月上旬は、その多くがヤゴとして水底または水中で生活しています。

その後一旦は山へ登っていくものの、稲が実る頃には里へ下りてきて水田に産卵し、卵はそのまま冬を越します。

水田のトンボは元々湿地に生息していましたが、人が造り出した水田に上手く適応し、水田の広がりと共にその生息地を広げてきたのです。


このように、水田は稲を栽培するばかりではなく、生き物の住みかとしても欠かせないもの。

人間にとっても生き物にとっても、命の源と言えます。
そしてまた水田も、あらゆる生き物に守られているのです。

夏の休日は、水田を舞台に繰り広げられる命の連鎖を感じながら、その力強い鼓動に触れてみる…というのはいかがでしょうか。



(出典・参照)
・五十嵐謙吉『歳時の文化事典』(八坂書房、2006年)
・関矢信一郎『水田のはたらき』(家の光協会、1992年)
・水谷正一『水田生態工学入門』(農山漁村文化協会、2007年)
・湊秋作『田んぼの生きもの おもしろ図鑑』(農山漁村文化協会、2006年)
・下田路子『水田の生物をよみがえらせる』(岩波書店、2003年)

2010.11.26 Friday ごはんと環境 00:00 comments(0)
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