旬の食材歳時記

旬の食材歳時記

 旬の食材の中を採り上げ、歳時記を紐解きつつその魅力をお伝えしていくこのシリーズ、今月のテーマはなすです。  天ぷら、焼きなす、煮物、田楽、揚げ浸し、そして麻婆茄子やラタトゥイユなど、いろいろな調味料と合うのでさまざまな料理で楽しめる食材、なす。お漬け 物とごはんとは相性抜群ですよね。現在は促成栽培やハウス栽培で年中手に入りますが、夏から秋にかけてが旬の野菜です。

 ナスの原産地はインド東部で有史以前から栽培され、日本には中国を経由して古代よりやって来ました。正倉院の古文書には天平勝宝2年(750)6月にな すを進上したとの記録があり、927年の書物『延喜式』には栽培から漬け物加工に至るまで記載がみられます。平安期の藤原道長の時代を描いた歴史物語『大 鏡』にも「…北野・賀茂河原に作りたる、まめ・ささげ・うり・なすびといふもの…」と記載があり、この頃にはすっかりポピュラーな野菜となっていたようで す。ちなみになすのヨーロッパへの渡来は14世紀ですので、いかになすと日本人のつきあいが長いかがわかります。

 栽培の歴史が長いので、日本ではさまざまな地方にいろいろななすがあります。すでに江戸時代にはかなりの分化がみられ、形も丸いものから長細いものまで 多種多彩。傾向として関東ではたまご形の小型、東海から西日本はたまご形の中・大型、南東北から信越、北陸にかけては丸形が好まれていたようです。一方、 九州ではなすといえば長なすですが、おもしろいことに九州からはるか離れた北東北も長なすがポピュラーなのです。一説には、伊達政宗が朝鮮の役に出兵した 際、博多港に立ち寄った藩の者が博多長茄の種子を持ち帰って栽培し、そこから秋田や岩手など北東北に広がっていったとか。

 また、色も紫はもちろん緑や白まであり、いろいろな品種が江戸時代の諸国物産帳などの書物に記されています。ちなみに海外にはオレンジ色のなすもあるそうです。

 古来よりら日本の食卓に愛されてきたなすですが、最近では消費が激減しています。一人あたりの購入量は昭和45年(1970)には約3kgだったのが、 平成15年(2003)には約1.5kgと半減しています。収穫量も作付面積も減少しています。しかし、これはなすだけでなく、野菜全体の傾向のようで、 「野菜ばなれ」は統計にはっきりと浮かび上がってきています。ちなみに県別収穫量のトップ3は々眞慮(44,500t)、∧_県(30,100t)、 7本県(29,900t)です(平成14年/2002)。

 オーソドックスななすの色はご存じの通り紫ですが、光、特に波長の短い光に当たらないと色づきません。だからへたに隠れている部分は白く、果実を若いう ちから黒い袋などで覆い光を遮断すると白いなすがなる道理です。紫色はポリフェノールの一種であるナスニンとアントシアニンによるもので、いずれも抗酸化 作用があり、目にもよい成分です。また、なすは血圧降下や食欲不振改善に効果があるとされるカリウムを豊富に含んでおり、体を冷やす作用もあります。

 おいしく食べるためにも、新鮮ななすをえらびたいもの。まさに「色云々す」で、色つやが良いものがおすすめ。へた(がく)にトゲがあるものも、新鮮なな すの証しです。固くて重みがあり、皮の色にむらがないものを選ぶとよいでしょう。保存はビニール袋に入れて涼しいところで。気温が高いときは冷蔵庫の野菜 室に入れましょう。

 ちなみに「秋なすは嫁に食わすな」とは、美味しいので嫁に食べさせたくないという意地悪な解釈でとられがちですが、なすを食べると体が冷えるからという いたわりの解釈や、秋なすは種が少ない=子宝に恵まれないのでお嫁さんには縁起が良くないとい説もあります。どれが真意?それは、それぞれのご家庭のご事 情にゆだねるとしましょうか…。


参考文献
杉田浩一・村山篤子監修『世界食材事典』柴田書店
平宏和総監修『食品図鑑』女子栄養大学出版部
野菜供給安定基金編『野菜統計要覧』農林統計協会
青葉高『日本の野菜』八坂書房
青葉高『ものと人間の文化史43 野菜:在来品種の系譜』法政大学出版局
杉山直儀『江戸時代の野菜の品種』養賢堂
広瀬忠彦『古典文学と野菜』東方出版


2009.08.28 Friday 過去の記事 00:00 comments(0)

スゴいぞ!ごはん

スゴいぞ!ごはん
 私たちの国では、古くから稲を栽培してお米を作り、ごはんを炊いて主食にしてきました。しかし、「飽食の時代」とよばれる現代は食生活が欧米化 し、パンや麺、つまり輸入でまかなわれている小麦の消費が増えるにつれごはんの消費が減少し、さまざまな問題が起こってきています。昨今、あまりにも身近 すぎるためか、日本人はごはんの優秀さ、ごはんを中心とする日本型の食生活のすばらしさ忘れているような感があります。このシリーズでは、日本人が年百年 も食べ続けてきたごはんや、ごはんを中心とする日本型の食生活について、さまざまな角度からそのポテンシャルを再考していきます。
 第1回目は栄養面からごはんを考えてみましょう。
 突然ですが、ごはんに多く含まれる栄養成分と言えば何でしょう?「ご組」の生徒さんならもちろん、「炭水化物」と即答されるでしょう。

 炭水化物はぶどう糖に変化し、脳や体のエネルギー源となります。100gあたりの成分をみると、白米(水稲穀粒精白米)には約77.1gと豊富に炭水化 物を含んでいることがわかります。ところがほかの穀物の炭水化物量をみてみると、小麦(薄力粉1等)は75.9gと白米とほぼ変わらない量で、トウモロコ シ(コーングリッツ=コーンフレークの材料)では76.4gと、含有量ではごはんが突出してすぐれているとは言い難いのです。

 しかし、ポイントは量より質です。一般的に、お米は炊いてごはんにして、粒のまま食べる、つまり「粒食」です。一方、小麦やトウモロコシは粉にしてパン や麺などに加工、つまり「粉食」となります。炭水化物は分解され、腸から糖として吸収されます。腸から血液に取り込まれると血糖値があがります。そのと き、血糖値を抑えるためのホルモン、インスリンが分泌されます。ごはんは粒食で、しかもでんぷんの質が難消化性のため、糖の吸収がゆっくり。よって、イン スリンの要求量が少なくて済むのです。遺伝的にインスリンの分泌能力が低い日本人は、インスリンの要求量が大きい食生活を続けていると膵臓に負担をかけ、 糖尿病になりやすい傾向があります。

 また、ごはんに由来するぶどう糖は、余剰になった場合発熱して消費されるので、脂肪として蓄積されません。つまり、ごはんでは太らないのです。

 ごはんには、多くはありませんがたんぱく質も含まれています。たんぱく質は約20種類のアミノ酸が結合してできていますが、このうちイソロイシン、ロイ シン、メチオニン、リジンなど9種類は体内で合成することができません。これらは「必須アミノ酸」とよばれ、食物から摂取する必要があります。たんぱく質 の栄養価を示すひとつの方法として、アミノ酸スコアというものがありますが、これは必須アミノ酸組成の数値を基準として求められます。白米100g中たん ぱく質の含有量は6.1gで、小麦(8.0g)やトウモロコシ(8.2g)と比べると多くはありませんが、アミノ酸スコアをみてみると小麦は39、トウモ ロコシは31なのに対し、白米は61とダントツの値を示します。つまり、お米はアミノ酸のバランスがよいすぐれたたんぱく質を含んでいるのです。アミノ酸 スコアが優秀な理由は、穀物は含有量が少ないリジンを比較的多く(トウモロコシの約2倍、小麦の約1.5倍)含んでいるからです。それでも、白米に含まれ るリジンの量は理想的な量の61%しかありません。そこで、それをみそ汁が補ってくれます。リジンは大豆に多く(理想量の115%)含まれているので、ご はん+みそ汁という取り合わせは、アミノ酸摂取の面からも理にかなっているのです。

 白米でもこのように栄養面ですぐれていますが、玄米ともなるとミネラルやビタミンも多く含まれ、さらに栄養豊富です。玄米には白米と比べてカルシウムが 約2倍、マグネシウムが約5倍、鉄分が約2.5倍、ビタミンEが約6倍、ビタミンB1が約5倍、ビタミンB2が約2倍、食物繊維は約6倍含まれているので す。さらに、最近話題の発芽玄米は、血圧降下や脳の血流促進効果があるとされ注目のGABA(γ-アミノ酪酸)が豊富に含まれています。

 ごはんはおいしいだけでなく、このように栄養面からみても「スゴい!」のです。そんなすばらしい主食を得た日本人は、幸せだと思いませんか?


参考文献
高橋素子著・大坪研一監修『Q&A ご飯とお米の全疑問』講談社ブルーバックス
佐合隆一・飯島和子・飯島朝子『シリーズ食農学1 イネ・米・ごはん』全国農村教育協会
吉川弘之『東京大学公開講座61 コメ』東京大学出版会
ごはんを食べよう国民運動推進協議会編『ごはんを食べよう』プラネットジアース
香川芳子監修『五訂増補 食品成分表2009』女子栄養大学出版部


2009.08.21 Friday 過去の記事 00:00 comments(0)

ごはんと環境:赤米(あかまい)ものがたり

 ごはんと環境:赤米(あかまい)ものがたり

 農産品直売所や自然食品のお店、最近では一部のスーパーなどでも見かける赤米は、お酒やお菓子などの加工品も登場しすっかり定着しています。
 この赤米を稲の「変わり種」と思われている方も多いでしょう。ところがその全く逆で、一般的な稲こそ赤米の変種なのです。
 栽培種の稲と同じ属の17種類の野生のイネの子実は、多くの場合赤または赤褐色です。また、2004年に稲の全ゲノム(生物のもつ全ての遺伝情報)が完 全に解読されましたが、その成果により、赤米の遺伝子内部の14塩基のDNA配列が欠失し遺伝子機能を失うことで赤米から白米へとなることが判明しまし た。よって、赤米と一口に言っても、白米にインディカ米やジャポニカ米、早稲種や晩稲種、うるち米やもち米といろいろと種類があるのと同様に、さまざまな 種類があるのも当然なのです。

 かつて日本各地でも赤米は栽培され、古代から食用にされていました。稲より野生に近い種類ゆえ、多少粗野に育てても結実することから、特に悪条件に強い 大唐米(たいとうごめ)品種の赤米は、新田開発により開けた低湿地、日当たりが悪い谷の奥の水田など条件の悪い場所で作付けがおこなわれました。大唐米の 赤米は食味が劣るものの、悪条件でも育つばかりか稲の不作の時でも収穫でき、しかも炊き増えすることから、備前や美作などの地域では下層の農民たちが糊口 (ここう)をしのぐため欠かせないものでもありました。また、東北地方の在来種は耐冷水性があり、用水の冷たい水が入ってくる水田の水口近くに植えられて いました。

 しかし、米が時代とともに生活の糧から流通経済の対象となってくると、価格の安い赤米は敬遠されるようになります。また、水口近くに植えられた赤米や、 前年田んぼに落ちた種子が育った赤米が白米に混じることも多く、混じったお米は品質が低下したものと見なされるようになります。特に白米が不作の時に、悪 条件に強い赤米は混入割合が多くなります。赤米の混入は明治期以降大きな社会問題と認識され、しだいに赤米は駆逐されていくのです。

 ところが、1970年代にはじまった米の作付け調整が続く中、米消費の多様化をキーワードにスーパーライス計画(需要拡大のための新形質水田作物の開 発)が1989年に開始され、タンニン色素を含み各種ビタミンに富む赤米は健康米として再び注目を浴びるようになります。これまで食味が悪いと敬遠された 赤米ですが、ベニロマンや奥羽赤370号など新しく品種改良された食味の良い赤米も登場。もち米の西海観246号はピンクの穂が美しく、観賞用としても人 気があります。最近の研究では炊飯米に接種した黄色ブドウ球菌の増殖を抑制するという報告もあり、さまざまな特性を付加価値に変え、赤米はひとつのお米の ジャンルを確立しつつあります。
しかし一方で、白米と混入しないよう、栽培時期をずらし出穂の時期が重ならないような調整や、花粉が飛ばぬよう他の水田と離れた場所で栽培するなどの栽培環境の工夫が求められます。

 赤米は神聖なお米として伝統的に栽培されている神社もあり、今でも神事に使用されています。一方で最近では赤米や黒米の穂の色を利用した田んぼアートが まちおこしや観光の一環としておこなわれています。兵庫県においても表面が濃い紫色の紫黒米(品種名:むらさきの舞)が、たつの市や加西市を中心に栽培さ れており、健康酢や酒類、そうめん等に利用されています。

参考文献
小川正巳、猪谷富雄『赤米の博物誌』大学教育出版
石谷孝佑『米の事典−稲作からゲノムまで』幸書房
有坪民雄『<イラスト図解>コメのすべて』日本実業出版社


2009.08.20 Thursday 過去の記事 00:00 comments(0)

米づくり:かかしは神の化身

 米づくり:かかしは神の化身

 田んぼにぽつんと立つ人影。時にユーモラスなかかしは田んぼや農村のシンボル的な親しみやすい存在です。
 かかしはもともと「嗅がし」を語源とする説が有力です。どんな目的で何を嗅がせるのかというと、焦げたにおい(イノシシの皮をいぶすなど)をはじめとす る悪臭を鳥獣に嗅がせ、その害を防いだようです。そのような臭いによる駆除法から意味が広がっていき、さまざまな鳥獣対策を指すようになりました。
 柳田国男によると、節分の前の夜にはヤイカガシまたはヤツカガシという行事があり、鰯の頭や髪の毛などを小さな串の先にはさんであぶり臭気を出し、さら に「隣の婆々が屁をひった」などという唱えごとをして鬼を追い払ったそうです。このような風習は淡路ではヤキザシといわれていましたが、岩手県ではこの行 事で使う串も、人形のかかしも、同じくヤツカガシという呼び名でした。その点からもかかしの語源が「嗅がし」にあることが伺えます。

 鳥獣対策にはこうした臭気を用いるもの以外に、自動的に音をたてる仕掛けも利用されていました。鳴子を張り巡らしたり、水の流れで音をたてたりと、さま ざまな仕掛けがあったようです。もちろん、人形のかかしもひとつの対策として講じられ、鳥形をナスやシュロで作って吊すなどのおどしも使用されました。

 しかし、それらの対策ではやはり限界があります。農業生産が重要視されるようになると、人々は番小屋を作って夜な夜な目を覚ましながら害獣を追うように なります。日中も風まかせで鳴子を鳴らせるだけでなく、時に縄をひいて追うようになります。そのことからも、半日もすれば鳥ですら人間でないことがわかる であろう人形のかかしが有効な鳥獣対策になり得たかというと、疑問をぬぐうことはできません。

 それでもかかしは田んぼに立ち、番をしています。なぜでしょう?

 柳田は、我々の祖先には単なる動物の生態や自然の法則以外に深く信頼し得るもの、つまり信仰があり、かかしの存在を「信仰の合理化または呪法が技芸と なっていく過程」と分析しています。はじめてこの鳥獣をおどす人形を立てた人は、これを自分たち人間の姿のように見せて相手を誤解させようという心持ちは なかった。形はどうであろうとこれは霊であって、人間に似た風貌で鳥獣を追い払うより、むしろ人間以上の力で田んぼを守護するものと信じられていた、と。

 そんな発想を解くヒントは、カカシアゲという行事にあります。信州ではカカシアゲといって、かかしを稲の収穫が終わった田んぼから迎えてきて、屋敷の片 隅の静かな場所や内庭に立てて臼を据え焼き餅を供えたり、庭先に立てて一斗升や箕を置いて大根や新米でついた餅を供えたりする風習がありました。そして長 いあいだ田んぼの番をしてくれたかかしは山の神となって山へ行き、山の安全を守ってくれるといわれています。

 つまりかかしは田んぼの守り神として、人々から敬われ、親しまれ、畏れられていたのです。国語辞典でかかしを引いてみると「何もできない人」という意味も付与されているようですが、これは失礼千万な話かもしれません。

 昨今、全国各地でかかしのコンテストなどのイベントがおこなわれています。田んぼを守る神様は、今やまちづくりにも引っ張りだこ。座る暇もないくらい忙しいようです。

参考文献
柳田国男『定本・柳田国男集』筑摩書房
福田アジオ、新谷尚紀、湯川洋司、神田より子、中込睦子、渡邊欣雄編『日本民俗大辞典』 吉川弘文館


2009.08.18 Tuesday 過去の記事 00:00 comments(0)

日本人と食文化

 日本人と食文化
 人間は、ただ無意識に食べている訳ではありません。食には環境や習俗、思想や技術などさまざまな要素が複雑 に折り重なり、社会や文化にさまざまな影響を与え、またそれ自体も文化なのです。食料は人間の生命を育みますが、食文化は人間の生活を育んでいるのです。 日本人の基層にある食にまつわる文化を顧みることは、私たちの食生活のみならず、日本人の歩んできた足跡を照射するものではないでしょうか。私たちの祖先 が編み出した知恵、重ねた苦労、思い描いていた思想などから学ぶことは多いもの。「日本人と食文化」のシリーズでは、生活や習俗、そして地域と食のかかわ りについてのエピソードを紹介します。
 国内を旅すると、こんなに山深いところにと思うくらい奥地にまで集落があることに驚きます。そんな山里でも生活が成り立っていたことは、食料や物資を調 達できたということに等しいのです。田畑を切り開いて米や雑穀、野菜などを育て、山に分け入れば薪だけでなく木の実や山菜、時には獣肉まで得ることができ たでしょう。わき水や沢の水はのどを潤し、清流には魚がいます。こう考えると、裕福とは言えないまでも、持続的に暮らしを成り立たせることができたことは 想像に難くありません。

 でも、生きていくために絶対必要不可欠ながら、ひとつだけ山里で手に入らないものがありました。さて、それは何でしょう?

 答えは「塩」です。生物としての人間が生命を維持するためには、水、空気、そして塩が必要なことはみなさんご存じだと思います。つまり、山村が存在した ということは、そこで塩を入手できたことにほかなりません。しかし、身の回りで得ることができないとなると、どこかから運んでくるしか方法がありません。 ということは、山奥に通じる「塩の道」が存在した、ということになります。

 例外的に、会津の熱塩(あつしお)や信州・伊那谷の鹿塩(かしお)などでは、その名の通り塩泉が湧き、そこから塩を得ていましたが、基本的に塩は海のあ るところで生産されていました。かつては全国各地の沿岸地域で海水を煮詰めて小規模な製塩がおこなわれていましたが、江戸時代になると赤穂など瀬戸内海の 塩田が発達し、全国各地へ流通するようになります。東北など瀬戸内から遠いところでは小規模な製塩が残っていましたが、どこの塩であろうが海から山奥へと 運ばれたことは変わりません。また、塩として単体ではなく、塩魚として塩を得ていたところもあります。

 ところで、今でこそ塩は当たり前の存在でありがたみすら忘れ去られていますが、山村ではとかく塩は得難いものでした。塩いわしなどは煮ると塩が抜けてし まうので必ず焼いて、焼いた日はまずなめる、翌日に頭を食べ、次の日は胴を食べ、明くる日はしっぽを食べ…というように、4日もかけて食べたそうです。ま た、塩分だけでなく、塩からとれるにがりも無駄にしませんでした。わざわざにがりの多い悪い塩を買い、樽の上にざるにを置いてその上に塩を乗せ、自然に落 ちてくるにがりを集め、それを豆腐づくりに使用していたのです。昔の人の知恵には感服しますね。

 では、塩はどのようにして山里に運ばれたのでしょう。瀬戸内など遠方からの塩は船で海を行き、時には川をさかのぼって途中まで水運で運ばれ、そこから山 へと向かいます。もちろん、産地から近い山里へは直接陸路を行きます。トラックなどない時代ですので、陸上の運搬手段は人力か牛馬かしかありません。

 特に活躍したのは牛です。馬の方が軽快で便利なようですが、日本古来の馬は小柄で大きな荷をつけることが難しく、さらに野宿に不便だったのです。一方の 牛は大きな荷を乗せられ、すぐ横になって寝るので野宿に都合が良く、足の力が強いので細い道や悪い道でも安定して進んでくれたのです。山深い岐阜や長野あ たりで、牛が「陸船(おかぶね)」とよばれていたゆえんです。そして何より、牛は餌に困りません。道草を食ってくれる、つまり道ばたに生えている雑草で餌 がまかなえ、餌代がかからなかったのです。ちなみに馬は「口籠(くちご)」という籠を口元にとりつけ、むやみに周囲のものを食べさせないようにしていまし た。

 塩の流通の痕跡は、今でも海なし県に塩尻〔長野県〕(=塩を運んだ最終地)、塩津〔滋賀県〕や四方津〔しおつ:山梨県〕(=塩を扱った船着き場)という 地名にも残っています。そして、わが国の道はすべて海に通じています。それは、私たちの祖先が生きていくために、貴重な塩を運んだ「生命の道」であり、今 でも大きな役割を果たしているのです。たまにはゆっくり道草でもして、何気なく通っている道のルーツを考えてみませんか?


参考文献
日本塩業体系編集委員会編『日本塩業体系 特論民俗』日本専売公社
宮本常一『塩の道』講談社学術文庫
宮本常一『宮本常一著作集49 塩の民俗と生活』未來社
楠原祐介・溝手理太郎編『地名用語語源辞典』東京堂出版

2009.08.14 Friday 過去の記事 00:00 comments(0)
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